Waterlogicの歴史

ウォーターロジックの創業から、
UV(紫外線)を利用した「ファイヤーウォール®」技術の
開発の経緯など、
詳しく紹介しております。

日本へ!

この事業提携は、そのまま順調に立ち上がりました、となればよいのですが、日本の独特なビジネス文化や実際に浄水サーバーを使用する環境、さらには日本人のおそらく世界で最も厳しい品質要求がWaterlogicの得意とする欧米の環境や意識とは大きく異なっていることから、なかなかすんなりとは前には進みませんでした。

さらに、依然としてボトルウォーターの需要は、欧米のような完全飽和の様相を見せることはなく、中小の新規参入企業も後を絶ちませんでした。そして、試行錯誤を繰り返す日々が続いていきました。

その間、両企業間での人の往来は続き、なんとか力を合わせて前進する思いは一緒だったのですが、難問に次ぐ難問が襲い掛かりました。結果、Waterlogicとしては、やはり日本に本格的に法人を構える必要があるとの考えにいたりました。

すでにその当時、Waterlogicの日本におけるReperesentative(代表)としてフルにこのプロジェクトに参画していたFBPが、日本法人の設立に向けて準備をすすめました。2011年2月に創業者でグループCEOのジェレミーを日本に呼び、最後の詰めを終え、あとは法人設立のための役員会に諮るところまで、漕ぎ着けていました。

ところがそんな矢先、2011年3月11日、あの東日本大震災とそれに続く原子力発電所の事故が、当初の事業計画をすべて白紙に戻してしまいました。

その背景は、震災直後、飲み水の家庭内での備蓄需要が大いに高まったことに関係しています。日本の宅配ボトルウォーターの需要は世界の趨勢とは異なり、震災を契機として再び活況を呈し、水道直結型POUサーバーの影はますます薄くなってしまいました。こうして、事業提携先との関係も契約更新はなされずに静かに終了しました。

2011 年の年末までWaterlogicの日本での活動は休止になりましたが、その間にも、日本市場のポテンシャルの高さは、Waterlogic本社内でも常に議論は継続されていました。

そして、2011年12月、Waterlogic本社の海外市場開発担当ディレクター(当時)のモシェから、突然、FBP社長の大石に電話がかかってきました。彼はまず、震災以降の日本の状況を尋ねたあと、おもむろにこう言いました。

「Waterlogicは日本の市場をあきらめていない。もう一度、一から立ち上げたいから力を貸してくれないか?」

もちろん、大石の答えは「Yes」でした。

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